T-10
T-10-1
アメリカはソ連のMiG-25に対して潜在的な恐怖を感じていました。おりしもベトナム戦争でミグ戦闘機の恐怖を味わったばかりであり、その新型であるMiG-25は間違いなく世界でトップの戦闘機であろうと。MiG-25に対抗して目下設計中であるF-14やF-15でさえMiG-25以下か良くてもわずかばかり上であろうと評価されていました。
しかし、過大評価を受けているソ連自身がそうではない事を一番知っており、極端な話基地の上空まで一気に駆け上がってミサイルを発射することしか出来ない多段式ロケットの1段目のようなMiG-25ではそれらとは戦う土俵が違ったわけで、F-14やF-15に十分対抗できる戦闘機を必要としました。
この時1969年、F-14の試作機製造が開始されマクダネルダグラスのF-15を次期主力戦闘機として決定した年にT-10次期戦闘機計画がスホーイ設計局によりスタートしました。
米国は空軍海軍共に次期主力戦闘機の選定に複数社競合(形の上だけでも)を行ったのに対して、ソ連は競合も無く進むのはさすが共産主義…
スホーイT-10-1 |
仕上がったT-10-1は、現在のSu-27とは程遠い形をしておりエンジンナセル間のポッドが無くIRSTも無い。
そしてなによりも外見を変えさせているのはその翼で、Su-27は機体から翼端にかけてほぼ真っ直ぐにのびる後退翼を持っていますが、T-10-1のそれは曲線を持った後退翼であるオージー翼であり、翼端のミサイルランチャーもついていません。オージー翼はコンコルドなどで採用されている翼です。
Su-27の二枚垂直尾翼はエンジンの外側に配置されていますがT-10-1ではエンジンの真上にあります。またコックピットとストレーキの継ぎ目も滑らかな曲線ではなく、あきらかに出っ張った形状をしています。このような違いをあげていったらきりがありません。
言い過ぎかもしれませんがF-4ファントムIIに対するF3Hデモンといえるぐらい形状が異なっています。一見フランカーっぽいけどよく見るとフランカーではないといったところでしょうか。
1977年、テストパイロットのウラジミールイリューシンの手によりT-10-1は初飛行を記録し、試験飛行を開始したT-10-1ですが、ふたを開けてみるとこれがとんでもない食わせ物であり、航空力学的に不安定の上アヴィオニクスの信頼性が恐ろしく低いことが露見しました。
1978年、T-10-2プロトタイプ2号機が完成、超音速飛行中振動と共に機体が勝手に機首があがり始め非常に高いG過重により主翼が空中分解し、飛行士のイブゲニー・ソロビヨフ氏が亡くなるという事故が起きました。スホーイは根本的な欠陥として再設計を行うことになります。また、数十回にわたるテストでT-10は対抗馬であるF-15と比較してあらゆる性能で劣るという屈辱的結果にわりました。
そして1981年これらの欠点を改善したT-10-7(T-10S)が初飛行し、今までのT-10の劣等生ぶりが夢だったかのような優秀性を示しました。T-10-7は非常に大規模の改修を受けて現在のSu-27と非常に似た形状をしています。
1982年、Su-27の名前が与えられた量産型が完成しましたが、同志空軍は同志スホーイのT-10がどうしても信用できなかったらしく、実際に配備されたのは1985年になってからでした。
なおT-10の名称はSu-27のプロトタイプだけではなくT-10M-1(Su-35)やT-10B-1(Su-34)もあり、40ものバージョンが存在します。
最後に余談となりますがウラジミール氏は「地球は青かった」の名言で有名なガガーリン氏よりも先に宇宙へ行ったにも関わらず、事故により他国の領土に落ちてしまい記録を消されたと言われます。真偽の程は確かではありません。なおウラジミール氏は既に死亡しています。